今回は塗装業に30年近く携わりながらも、マッサージ師を目指しているという塩見龍二さんを取材しました。
なぜ、塗装屋さんがマッサージ師に?
まずこんな疑問が浮かんできますが、お話を伺ってその興味深い過去を教えてもらいました。
音楽に明け暮れていた20代
26歳までバンドマンをやっていたという塩見さん。
とにかく音楽が好きで、塗装業をしながらバンドに明け暮れていたそう。
塗装業をやっていたのは、手つきが器用でものづくりが好きだったからということと、
様々な現場を持ち、身軽に動けるからということで、性分に合っていたからだという。
退屈なのが嫌いなんです。いつも同じ場所に留まっていたくない。
常に変化することが好きです
音楽の他にアートが好きだった塩見さんはニューヨークや、ジャマイカ、インドネシアなど
お金を貯めては様々な国に旅をしたそうです。
タイ人の奥さんと結婚
34歳の時にタイで出逢った女性と結婚した塩見さん。
その後、2人のお子さんをもうけます。
「この人となら退屈しないだろう」と思い奥さんと結婚したそうですが、
それを印象づける驚くことが起こったのだとか。
文化的なことなのですが、タイ人は結構なんでも事後報告なんです。
実は、子供の学校を決めるときも妻が勝手にタイの学校へ入学させたと後で知りました。
タイの学校に入れちゃったから日本には戻れないって。
びっくりしましたが、こんなことはよくあることです(笑)
こうして、塩見さん自身もタイで暮らすことになり、もとから好きだったギターの卸売りや
音楽スタジオの経営をするとようになりました。
音楽スタジオをなんと、ご自身の手で作り上げたのだとか。
塗装業をしていたので、建築についてもある程度知識はありました。
現地の業者に頼むよりは自分の手で作った方が信頼できたので
海外で事業を始め、さらにスタジオまで作ってしまうなんて、行動力がすごいですね。
タイで学んだマッサージを日本で
6年ほどタイで事業を行い、日本に帰ってきた塩見さん。
その後、また塗装業を行いますが、怪我がきっかけで塗装業の引退を考えるように。
リハビリも兼ね、奥さんとお子さんがいるタイへ渡ります。
実は塩見さんの奥さんはマッサージ学校を運営しており、塩見さん自身も怪我を機にマッサージを学び始めます。
正直、最初はタイマッサージなんてと思っていました。マッサージ師になることは
なんとなく「逃げ」のような気もして。
でも、実際とても良いものだし学んだからには、極めていきたいと思います。
悔いのないように良いと思ったこと、好きなことをとことんやっていきたいと思います。
塩見さんは現在、勉強をしながら「マッサージ師」という新たな道を切り開いています。