webデザイナーと整体師、二つの顔を持つロンシンさん。
web業界から一歩外へと踏み出すきっかけとは?
ロンシンさんの人生を綴った全2回の連載記事です。
ー学生時代は何をしていましたか?
高校卒業まで鹿児島にいて中学時代はバレーボール部に所属、高校は進学コースのある高校に入って、勉強に専念していました。福岡での浪人時代を経て大学で初めて東京に出てきて、専修大学の法学部に通いながら最初の2年間は兄と暮らしていました。
ーどんな大学生活を過ごしましたか?
バイトと中国武術中心の生活でした。人見知りなので友達はあんまりできなかったんですね。サークルもちょうど勧誘のタイミングで寝込んでしまって、入るタイミングを逃しちゃって。奨学金をもらっていたので中華料理屋やコンビニなどでバイトをしたり、学生会館で日雇いの仕事を探してバイトをしていました。
私はもともと体が強くなくて、ずっと強くなりたいと思っていて。この時に兄がやっていた中国武術を始めます。体育会系のノリは苦手だったんですけど、中国武術は穏やかで私に合っていました。小田原に道場があるんですけど、今でもたまに通っています。もう22,3年になりますね。
ー大学を卒業後、どんな進路を選びましたか?
不動産情報関係の企業に入って、5年ほど勤めました。最初の1年はルート営業の仕事でその後営業サポート、情報管理の仕事に移りました。ただ移った当初はやることがなくて、どうしようかと。その時パソコンがちょうどWindows95に変わるタイミングで同じ部署の先輩に教えてもらいながら、データ分析を始めます。インターネット、ホームページなどパソコンの知識を広く浅く学びました。
ー転職のきっかけは何でしたか?
もう少しパソコン関係の業務をやってみたいと思って、会社を辞めて1年間webデザインの学校に通いました。卒業後は学校の紹介で派遣会社に入って、大手電機メーカーのwebデザインを担当していました。バナー作成、画像の加工、修正、商品の発表時期に合わせてwebデザインなどを2年間。
その後、派遣の契約が終わるタイミングで、派遣会社との交渉が決裂したんです。それで派遣先に相談したところ、「大事な案件だからここで抜けられると困る。今のままだと契約を更新できないから、会社作ってくれないか。」という話になりまして。ちょうどその時父が休眠させていた法人があって、それを借りて横浜に会社を立ち上げました。その会社を今でも続けています。
ーwebデザインをする時に、心がけていることはありますか?
こういう場合はこういうセオリーだと論理的に考えながら作っています。動的プログラムだけはプログラマーをお願いして、デザインと一緒にコーディングもセットで、設計、スケジューリングから全部やっています。15,6年やってきたことが積み上がっていますね。
ー会社を立ち上げてからは、仕事は順調だったのですか?
立ち行かないから引っ込もうと思ったことが何度もありました。独立して1年ほどすると仕事がなくなってきてしまって、webデザインだけでは食べていけず、飲食店のアルバイトもしていました。ちょうど34歳くらいの時ですね。
ここでwebデザインの仕事は楽しいですが、やってきた経験を50,60歳になった時に生かせない。いつかは何か別の仕事にシフトしなければと考えるようになります。それで整体師の世界に入っていくことになります。元々学生時代からヒトの体に関わる仕事に興味がありました。将来仕事にするなら資格があった方がいい、まずは学校を卒業して資格を取ろうと思って、整体師の専門学校の説明会に行ったんです。
正直、仕事を続けながら学校に通うのは、時間的にも金銭的にも厳しいと思っていました。でもその面接で私はweb制作会社でwebデザインをしていますと話をしたら、ちょうどその学校がweb制作に力を入れていた所で、なんとその学校のweb制作を担当しながら学校に通えることになったんです。そんなご縁があって、2年間整体師の専門学校に通いました。