童画家、雑貨クリエイターのTomyさんにお話をうかがいました。
全4回の連載記事です!
絵を描くこと
幼い頃、絵を描くことが毎日歯を磨くことと同じくらい日常だったというTomyさん。
言葉の発達が遅く、学校では色々と苦労したといいます。
母曰く、私は5歳過ぎまで言葉を話せなかったそうです。診断は受けていませんが軽度の発達障害だったのかもしれませんね。絵を描いていれば、大人や周りの友達の意識を自分に向けられる。自己主張の一つとして、絵を描くことを覚えたのだと思います。
故郷を離れ、単身横浜へ
中学生の時、修学旅行で訪れた憧れの横浜が忘れられなかったTomyさんは、高校を卒業すると同時に故郷の四日市市を離れ、単身横浜へ。
当時『あぶない刑事』が流行っていて、ロケ地の横浜に住んでみたかったんです。横浜に友達がいて、両親には友達の家に行ってくると言って家を出て、こっちに住むことは後日伝えました。心配かけましたね。母は反対しても仕方ないと許してくれました。父は何も言いませんでしたが、後で話を聞くと「3、4年大学に行かせたつもりになれば…」と言っていました。
求人雑誌を見て仕事を探し、不動産手続きを友達のお母さんに手伝ってもらいながら、Tomyさんの横浜での新たな生活がスタートしました。
居心地の良い場所を求めて
最初の仕事は、通信教育の教材をテレアポで売る営業職。しかし長くは続かず3ヶ月で辞めてしまいます。
すぐ後に入った印刷屋も半年続かず。劇団員をやりつつ、ドラッグストアや日雇い派遣のアルバイトのかけもちをしたこともありました。
当時は自分で生活することもままならずバイト先で試食品をもらったり、家族から仕送りをもらったり、賄い付きの仕事を探したりと、とにかく必死だったといいます。
どの仕事も続きませんでした。田舎から出たことのなかった自分がいきなり都会に出てきて、それまで家庭に恵まれて甘えていたことを実感しましたね。当時はもう、自分で生活することに精一杯でした。
花屋での出会い
その後就職した花屋で、いいご縁がありました。
職場環境が良く、仕事内容、お客様の質、社内の人間関係、どれをとっても自分に合っていたと言います。
その会社は他の会社とは違う、高校の部活みたいな雰囲気でした。みんな定時内に仕事を終わらせるために、100%全力で仕事をするんです。残業はほぼないし、あってもみんなで助け合います。
お互いを称え合い、尊敬し合える職場環境。
私は何をするにも遅くて仕事もなかなか覚えられないタイプでしたが、社長を始め上司も同僚も、どんな状況でも尊重し応援してくれる方達でした。頑張っていることが楽しくて気持ち良くて、1日があっという間でした。
成長できる環境に巡り会えたTomyさん。
忙しい時には、開店前のお店に100人近いお客さんが待っていたこともあったそうです。
最初は怖かったです。10時にレジに入って、忙しいとお昼食べる時間もなくて、夕方までぶっ通し。お客さんがたくさん来すぎて、さばききれない夢を見るほどでした。それでも毎日楽しくて。今まで何をやっても続かなかった自分に社会的価値を見出せなくなりかけていましたが、ここで私は「花の名前、扱い方やデザイン」などの、仕事の知識以上に自信を得ることが出来たんです。