暇つぶしから本業へ…着付け師あゆみさんがもらった現場の人のキツ〜イ一言とは?

暇つぶしが高じて本業へ、OLから着付け師に華麗なる転身をされたあゆみさん。

現在のお仕事に至るまでには、決して一記事では収まりきらないあゆみさんの軌跡があったのです…。

横浜市を中心に”子連れ着付け師”としてご活躍のあゆみさんにお話を伺いました。

全4回の連載記事です。

小西歩さんプロフ

小西 歩 さん

子連れ着付け師

東京都大田区生まれ。 着付け師歴約10年。帝国ホテル、ウェスティン東京、パレスホテルの着付室で勉強後、結婚式や成人式、園遊会、叙勲、雑誌、CM、テレビ番組、銀座のママの着付け等様々な現場を経験。現在は2歳の子供を育てながら、横浜を中心に子連れ着付け師として出張着付け、着付け教室を展開している。ブログはこちら

バイトに明け暮れた大学時代

大学では中国語専攻だったあゆみさん。カメラ屋の受付や、中華街のレストランなどバイト中心の生活を送っていました。

巫女装束を着てみたいと、近所の伊勢山皇大神宮で巫女さんのアルバイトもしました。

七五三の11月と大晦日から1月3日までの時期に、お守りを売ったり、祈祷師さんにお神酒を渡す仕事です。

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今でも印象に残っているのは、衣装のことで神主さんに怒られたこと。

巫女さんが鈴を振る時に着る専用の衣装があって、それを休憩の時に脱いで床に置いといたんですよ。そしたら神主さんに「そんなとこに置いてんじゃないよ!」って怒られて。

神聖な衣装に込められた意味。後で振り返ってちゃんと勉強しなければ、と気を引き締めたそうです。

一般事務の仕事をしながら、暇つぶしに着付けを始める

大学卒業後1年間フリーターとして過ごした後、大学で学んだ中国語に関連する仕事をしようと、代官山にある中国系の船会社に一般事務員として就職しました。

書類を作ったり、電話を受けたりといった事務仕事や敬語やマナーなど、3年ほど会社に勤めながら先輩たちから様々なことを学びました。

すごくいい会社で、9時出社17時退社で残業もほぼなくて。社長が80歳くらい、社員は私が一番若くて次に若い方が40歳で、ご年配の皆さんにすごくよくしてもらいました。仕事中も高校野球の話でずっと盛り上がってたり、アイス買ってきてよとかそんな感じで(笑)でも17時に仕事が終わってからが暇で、たまたま会社の近くに着付け教室があって暇つぶしに着付けを習い始めたんです。

現場で自分の実力を思い知る

事務仕事の傍ら、着付けを習い始めたあゆみさん。

動機が暇つぶしだったため、最初は正直やる気がなかったと言います。

まず着付けに使う言葉が難しいんです。伊達締め(だてじめ)、裾除け(すそよけ)、襦袢(じゅばん)とか、これ持ってきてくださいっていう紙を渡されてもまず何のことだかわからなくて。興味がないからなかなか覚えも悪くて、帯締めと帯揚げも形が似てるから1年くらい違いがわからなかったり(笑)

それでも仕事の合間に着付け教室に通い続け、教室を卒業しました。

着付け教室の卒業式。先生と一緒に
着付け教室の卒業式。先生と一緒に

その後、せっかく卒業できたからバイトでもしようと行った、写真スタジオの着付け師募集の面接で現実を思い知らされることとなります。

「じゃあ実際うちのスタッフに着せてみて。」って言われて、そこで初めて本物の人間に着物を着せたんです。着付け教室ではマネキン相手だったんですけど、教室も卒業したし自信はありました。そしたら紐をかける位置すらわからなくて全然できなかったんですよ。「あ、卒業してもこんななんだ。」と思って。面接の社長さんにも「着付け教室上がりなんて所詮こんなもんよ。」みたいなこと言われてガーンと衝撃を受けました。

心に火がついたあゆみさんは、写真スタジオの方に誘ってもらい、まずは週末だけ写真スタジオでバイトをするようになります。

こうしてあゆみさんは、着物の世界へ足を踏み入れていくのです…

2/4 ホテル業界と銀座の夜、両極端の世界を経験

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