お茶とのりの㊄いしだ園の三代目若女将としてご活躍の由美子さん。
若女将としてお店に戻られてからの4年間、毎日着物を着てお店に立っています。
人々を見守り盛り上げる洋光台のお母さん、由美子さんの人生に迫ります。
全3回の連載記事です。
小さい頃からお手伝いと勉強が大好き
お茶屋の二人姉妹の長女として生まれた由美子さんは、幼い頃からお店のお手伝いをしていました。
3歳の時、お客さんに「由美子ちゃん偉いわねぇ。大きくなったら何になるの?」と聞かれ「大きくなったらお茶屋さんになるの!」と、お茶屋さんになることを決意。
小学生になると洋光台に引っ越し、学校から帰ると毎日お店を手伝っていました。
ちょうど高度経済成長でお店が人で賑わっていた頃で、お店は猫の手も借りたいほど忙しかったと言います。
お店で必要なのは暗算能力。勉強が大好きだったという由美子さんは計算ができるよう、算盤教室にも通いました。
小学校3、4年生の時には市の算盤大会に地域代表として団体戦に出場、1度県大会にも行きました。
人の気持ちを「察する」こと
中学受験を経て、私立の清泉女学院中高に進学、部活は陸上部でした。
小6の時に走り幅跳びで横浜市の体育大会代表に選ばれたことがきっかけで、体育祭実行委員も兼ねる保健体育委員に抜擢され、中一から高三まで、体育祭実行委員会として学校を引っ張りました。
小6の時からラジオ体操は常に朝礼台に立っていたという由美子さん。
子供の頃からずっと、人の気持ちを察して動くように言われて育ってきました。その人が何を望んでいるのか、察して動く、そういうのは得意でした。
高校生になると、新茶の時期は茶娘の衣装を着て信号待ちの人にお茶を配ったりと、お店の手伝いも続けていました。
小学生時代は時給10円で働いてたんですよ(笑)ちゃんと自分で何時から出たかノートに書いて、全部自己申告でした。暮れや新茶の時期は必ず手伝っていました。年上の大学生アルバイトの指導係もしていましたね。
浅草の草履屋で修行を積む
高校卒業後、由美子さんはすぐにお茶屋さんに入った訳ではありませんでした。
新入社員の研修施設で1年間寮生活をした後、浅草の草履屋さんに3年間家事見習いとして住み込みで入ります。
朝起きると玄関の掃除から始まり昼間は草履屋の仕事、お昼時には旦那さんに料理を御給仕をしていました。
2世帯3世代同居の大家族で、夏休みなど多い時は一軒家に30人ほどが集まっていたそうです。
由美子さんはここで食事の席に不在の方の安全を願う、陰膳を覚えました。
出張に行っていていない旦那さんたちにも、ご飯をよそって供えるんです。あたかもその人がいるが如く振る舞う。家族一緒に食べる、その気持ちが大事なんですね。
季節ごとのおばぎは全部手作りだったり。辛いこともあったけど貴重な体験をさせてもらったと振り返ります。