人生を変えたのは、自身の結婚式の◯◯でした

横浜を拠点にご活躍中のフラワーデザイナー中田りょうこさん。

ブライダルの世界で経験を積まれた後、現在はさりげなく飾る暮らしの花の魅力を伝えています。

りょうこさんがフラワーデザイナーになるきっかけ、そして活動に懸ける思いとは?

全3回の連載記事です。

中田りょうこさんプロフィール

中田 りょうこ さん

フラワーデザイナー&クラフト作家

1973年北海道札幌市生まれ。横浜市神奈川区在住。24歳でマナコフラワーアカデミー入門。池田ナオミ氏に師事。27歳よりブライダルフラワーとレッスンを中心に活動。CM・雑誌の仕事多数。ゼクシィ北海道版のブーケ読者投票で人気ナンバーワンとなる。34歳で自身の結婚のため、北海道から神奈川へ転居。現在は横浜わたしの花時間を主宰し、日常生活にさりげなく花を取り入れることの楽しさを伝えている。

自分に自信が持てなかった学生時代

ーご出身の北海道札幌市では、どのような学生時代を過ごしましたか?

小学校、中学校時代は父が転勤族だったので転校を繰り返しました。高校は旭川の進学校に入りましたが、すごく勉強ができる人たちの中に実際に入ってみると、勉強にはなんとなく集中しきれない自分がいました。

ー部活は何をしていましたか?

男子バスケットボール部のマネージャーをしていました。今思うと、裏方とかスタッフというのが当時から好きなポジションだったと思います。フラワーデザイナーもまさに裏方、スタッフなので。でも当時は、プレイヤーの男子達がバスケットボールに熱中している姿がとても輝いて見えて、自分も彼らにとってのバスケットボールのような熱中できる何かがあったらいいのにな、と思っていました。

ー大学に入って、やりたいことを見つけたのですか?

大学は得意科目だった国語を活かして国文学科に入学します。これももっと国文学科が得意な方々に揉まれると、これまた夢中になれなくて(笑)。大学でも、近くの大学の男子バスケットボールのマネージャーをしていました。バスケットボールという競技がわたしにとってすごく魅力があって、やっぱりバスケを・・・という感じで。

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結婚式で訪れた、フラワーデザイナーとの出会い

ー大学を卒業後、どちらに進まれましたか?

ぼんやりと、いつか自分で仕事をしてみたいとは思っていましたが、当時の私には何か特別な目標はありませんでした。ご縁があり内定が出た札幌の卸商社で化粧品の営業職に就くことになります。

ー初就職先は、どんな会社でしたか?

今振り返ってみると、とてもしっかりした会社に、良くしてもらったと思います。そして、この新入社員のときに教えてもらった、挨拶とか返事レベルの、ものすごく基本的なことが、その後の私の仕事人生のベースになっていると思います。だから、20代前半という大切な時期に「体育会系でバカみたい。」とか、変にかっこつけて斜めから見るようなことをしないで、素直に吸収できたのが本当に良かったです。

ーその会社を退職されたきっかけは何でしたか?

私は当時あまり体が強くなくて、会社員という働き方に残念ながら向いていませんでした。毎日同じ時間に会社に行って、残業して遅くに帰ってくるというのが、どうしても体力的につらくて。でも仕事は好きだからどうにか続けたいわけです。そのうちに、自分のペースで仕事をやっていく、自分で働き方をコントロールすることができないかなと思うようになります。

ーなるほど。でもこの時にはまだ具体的なアイデアはなかった?

そうですね。最初の会社の退職と時期を近くして、私は24歳で1回目の結婚をします。それで結婚式に持つブライダルブーケを用意することになって、ここで後の師匠になる先生と出会いました。初めてフラワーデザイナーという職業があるということを知り、結婚式が済むと先生の教室に、生徒のひとりとして通うようになりました。

ー先生のどんなところに惹かれたのですか?

先生の大人の女性のライフスタイル全般です。当時24歳の私にとって、「こんなに素敵な40代の女性が実在するのね!」ということが衝撃的でした。私は自分がかなり若い頃から、若さよりも年齢を重ねた素敵な女性に憧れを持っていました。ですから先生の制作される、それまで見たこともないような素敵なデザインのフラワーアレンジメントやブライダルブーケ、そして彼女自身のファッションセンスやご自宅のインテリアなど、すべてにおいて、「こんな女性になってみたい!」と強く憧れました。これが私のフラワーデザイナーという職業との最初の出会いでした。

本気で熱中できるものを見つける

ー結婚された後は、何をしていましたか?

以前勤めていた会社の営業先が、「もしよかったら、うちの会社に来ないか?」と言ってくださり、調剤薬局にお勤めしました。この仕事をしながら、お花の勉強をするという生活を続けていました。

ーその調剤薬局には、何年ほど勤めていましたか?

2、3年です。この時ちょうど第一次結婚ブームが来て周りの友達が結婚しはじめました。それで、「プロになりたくて勉強中なんだけど、結婚式のブーケを作らせてもらえない?」と花嫁の友人にお願いをして、ブライダルブーケを作らせてもらいました。先生のお教室で学ぶ以外に、本番のブライダルブーケを作る機会に恵まれたことが、後々すごく生きてくるのです。

ーそうだったのですね。そこでフラワーアレンジメントのノウハウを掴んだのですか?

ノウハウというよりも、自分に向いてるか、向いてないかがハッキリわかりました。いくらやっても飽きずに楽しく続けてられる、自分にぴったり、というものに初めて出会いました。それまでは器用貧乏みたいな感じで、何かに熱中できないことが何となくコンプレックスでしたが、フラワーアレンジメントは、「これが私に向いているものだ!」というのがハッキリとわかりました。

2/3ゼクシイでの仕事を経て暮らしの花へ

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