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ゼクシィの現場でウエディングドレスを学ぶ。そこで得られたこととは?

本気で打ち込める仕事に巡り合えたりょうこさん。

第1回 熱中できることに出会う

第2回では様々な現場学ばれたりょうこさんが、現在の活動に行き着くまでの過程に迫ります。

中田りょうこさんプロフィール

フラワーデザイナー&クラフト作家

1973年北海道札幌市生まれ。横浜市神奈川区在住。24歳でマナコフラワーアカデミー入門。池田ナオミ氏に師事。27歳よりブライダルフラワーとレッスンを中心に活動。CM・雑誌の仕事多数。ゼクシィ北海道版のブーケ読者投票で人気ナンバーワンとなる。34歳で自身の結婚のため、北海道から神奈川へ転居。現在は横浜わたしの花時間を主宰し、日常生活にさりげなく花を取り入れることの楽しさを伝えている。

ゼクシィの現場でドレスを学ぶ

ー調剤薬局を退職後、すぐにフラワーアレンジメントの世界に入ったのですか?

はい。調剤薬局を辞める時にはもうフワラーアレンジメントの仕事をしていました。ブライダルの仕事や身近な友人たちに、花束のプレゼントを作っていくうちに件数も徐々に増えていきました。

ー口コミで広がっていったのですね。

そうですね。でもそれまでは、ほぼ材料費だけで作らせてとお願いしていたものを正規の料金でやるとなると、そこでお客様はサーッと、いなくなるんですよ。そこからまた一からのスタートで、どうしようかなと思っていたところ、ブライダルのお客様のひとりが私の仕事を認めてくださって、「あなたのお仕事は、もっと世の中に出ていい仕事だと思う」と言って、私のホームページを作ってくれたんです。

ーその時代に、ご自身のホームページができたのは大きかったですね。

そうなんです。そこからホームページを見て徐々にお客様も来てくれるようになりました。その後ゼクシィ北海道版のお仕事をされている関係者の方に仕事を紹介していただいて、ゼクシィのドレスページのブライダルブーケを制作するお仕事が始まりました。モデルさんが持つブライダルブーケを作るお仕事でした。丸2年くらいだったと思います。ゼクシィのお仕事をしつつ、自分のページの広告もゼクシイに出していって、面識の無いお客さまからもご注文をいただけるようになっていきました。

ーゼクシィのお仕事の中で、心に残っている仕事はありますか?

私はブーケ担当なのでドレスに合わせてその場でブーケを用意していくのですが、結構現場で手があいている、待ちぼうけの時間があって。そのうち多忙なスタイリストさんに「手伝いますよ~!」と言って、お手伝いをやらせてもらうようになりました。全部で100着とか大量のドレスにアイロンをかけていたりすると、回を重ねるうちに次第にドレスのこともわかるようになってくるんですね。「このドレスの質感には、あのお花がぴったりね!」とか、「あの雰囲気のドレスならば、ぐんと長さのあるブーケが素敵!」とか。そうして私はドレスに精通したフラワーデザイナーに特化していきます。

当時、ブライダルブーケって結婚式場やホテルから購入するのがスタンダードでしたが、私は違う道がないかなと考えて、自分はウエディングドレスについて詳しいからと、ウエディングドレスの会社さんに営業に行くようになります。数社と契約を結びウエディングドレス会社さんからいただく注文が増えていきました。ゼクシィの現場で、ウエディングドレスを学んだ経験が生きてくるんですね。

ーゼクシィのお仕事を通して何を学びましたか?

仕事全体のバランスを自分の頭で考えることだと思います。例えば、新婦さまの身長、ウエディングドレスのタイプやデザイン、新郎さまのご衣裳など、様々な情報から、新婦さまが一番綺麗に見えるように、新郎さまとの丁度いいバランスを、ブライダルブーケで作り上げていきます。

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離婚から2度目の結婚へ

ーその後もお仕事は順調に?

おかげさまで事業は順調に成長していきました。私ひとりでスタートした事業でしたが、一緒に働きたいといってくれる方も出てきて、4、5名に手伝いに来てもらえるようになりました。ただ残念ながらプライベートでは30歳で離婚してしまいます。私の中で家庭と仕事の両立は人生の夢のひとつだったので、仕事がいろいろな方に恵まれて大きくなっていく半面、私の心は寂しくなる一方でした。仕事ばかりが肥大していって、バランスがとれず心はからっぽの感じというか・・・。当時は、私の思い描いていた人生とは違う流れの中にいるなと感じていました。

ーその後、再婚をされたのですか?

はい。最初は札幌で再婚できたらと思っていましたが、結婚につながるような出会いは無くて・・・。そのうちにご縁があったのは、18歳の頃から知っている、大学時代バスケ部の先輩だった今の主人でした。主人は東京勤務、私は札幌。仕事を取るか彼を取るかを決断しなくてはならない状況がせまってきました。結局34歳のとき、北海道で抱えていたほとんどの仕事をクローズして、ひとりで主人の待つ首都圏にやってきました。

ー決断した時はどんな気持ちでしたか?

仕事は首都圏で、また一からやり直そう!と腹をくくりました。

ーこちらに来てからは、どう仕事を再開しましたか?

ありがたいことにお声をかけてもらう機会がすぐにあり、専門学校の講師や、企業のノベルティを作る仕事ですぐに再開しました。それが2年ほど続いた後、37歳で妊娠。また仕事は0に戻るんですね。そうやって子育てをしていたら、良いママ友ができて、その方々を対象に、お子さんを持ったママ向けのフラワーアレンジメントレッスンを自宅のリビングをアトリエにして始めます。それまでの私の生徒さんは、自分磨きのためにお花を楽しむ独身の方が多かったのですが、家庭や家族のためにお花を始める主婦に客層ががらっと変わって、私はここで暮らしの花日常の花の魅力に出会います。

家庭に花一輪を上手に飾ることの難しさに、プロのフラワーデザイナーの私が四苦八苦しました。ここで、結婚式やお誕生日、特別なお祝いなどに飾る花と、日々の暮らしの花が全然違うものだと気が付きます。長年プロをやってきた私が上手にお花を飾れないなんて、ビックリです!これは研究のしがいがあるなと。それまでに私がブライダルブーケなどで身につけた特殊技術やセンスを、暮らしの花にも応用できないかと思い、そこから私のさりげなく飾る暮らしの花という新しい道が始まっていきます。

3/3暮らしを彩るフワラーアレンジメント

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