まるで○○みたい・・・都会の街並みに現代美術作家はこう感じた

現代美術作家、内田美絵さんの人生に迫ります。

都会の街並みに現代美術作家の美絵さんが感じたこととは?

全3回の連載記事です。

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現代美術作家

千葉県銚子市生まれ。父は洋画家の内田安彦さん。女子美術短期大学を卒業後、アルバイトをしながら個展を開く。2004年、東京都世田谷区から千葉県木更津市へ移住。現在は大学生と高校生の2人の子どもを育てながら、個展やアートスクールを開催している。PAINTING ARTIST MIE UCHIDA

若くして、プロの仕事に触れる

美術大学を卒業する時には、アーティストとして生きていくと心に決めていた美絵さん。

個展を開くためにやっていたアルバイト先では、様々なプロフェッショナルな人々に出会えたといいます。

料理が好きでやっていた荻窪にあるカルチャーセンターのアルバイト先では、買い物から調理まで、親身になって教えてもらいました。

画廊でのアルバイトでは、それまで知らなかったアートの世界の商売について学びます。

若いうちからプロの仕事に触れ、美絵さんの感覚は研ぎ澄まされていきました。

都会に違和感を感じ、一家で木更津へ

子供が産まれてからは、東京の世田谷で子育て中心の生活を送っていました。

美絵さんが、地域の子供の教育に関心を持ち始めたのもこの頃。

公園で木を燃やしたり、穴を掘ったり、子どもの外遊びを支援する羽根木プレーパークの活動・運営にも携わります。

しかし同時に公園を一歩出るとコンクリートに囲まれている都会に、ずっと違和感を抱いていました。

都市

来る2004年、美絵さんたち家族にとって大きな決断をすることになります。

三軒茶屋にあるキャロットタワーの展望台から世田谷の街並みを見下ろした美絵さん。その時、身体中にぞっと悪寒が走りました。

街が灰色に見えたんです。立ち並ぶビルは墓石に、木は手向けのお花に見えてしまいました。まるで火葬場の骨がばらまかれているよう。

芸術家の美絵さんの目には、都会の街並みが無機質なものとして映っていました。

この時、自然のないところでは子供を育てられないと美絵さんは確信しました。

夫から「千葉に住んでみない?」と言われて、家族で木更津に行くことにしました。まだETCがなくてアクアラインの通行量が3000円だった、13年前のことです。アーティストとして何かを伝えたいなら、自分でいられる場所に自分をおかなければいけないと思ったんです。

自然と共に暮らす

喧騒とした都会を離れ、木更津での新たな生活が始まりました。

引っ越し先の水道は井戸水を汲んで使う簡易水道のため、ちゃんと水が出ない日もあります。

子供たちは環境の変化に慣れるまで苦労したそうです。

特に長男が中学生の多感な時期は大変でしたね。都会に比べて木更津には若者が求めるような刺激が少ないですから。いたずら猿や猪はたくさんいますけどね(笑)部屋で大きな音を出して音楽を聴いても大丈夫、外で裸でいても構わない、そんな環境の中で子供たちは育ちました。

空を見上げる_Fotor

子供たちは自然の力を頂いて育ったと美絵さんは語ります。

人は行き詰まった時に空を見るんです。都会だと自分の家でも壁に囲まれていて、完全に一人になることは難しいですよね?木更津だと空を見上げながら一人になれるんです。でも、つらい孤独になることはありません。同じ環境に生きる近所の者同士、見守りあっているんです。子供たちはそんな環境で育ったからこそ、自分のことは自分で考える力がついたのだと思います。

2/3 今子供たちに必要な教育とは?

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